用意周到
 学期末。生徒達を送り出した後、家路を辿る半助達がくつろぐまでには、まだもうひとつやっかいな仕事が残っている。
 数ヶ月間ほうっておいた、家の大掃除だ。
「今日こそはちゃんと手伝ってもらうからな、きり丸」
「えーっ、まさかタダ働きじゃないでしょーね」
「お前だってそこに寝泊りするんだろーがっ」
「労働意欲の問題ですよ。ごほーびが少しでも出るなら、すっごい働いちゃうんだけどなぁ」
 半助の連れの少年、きり丸にとって世話になっている恩よりも目先のお駄賃の方が重要らしい。
 結果は見えているのだが、提案せずにはいられない。
「ね、お安くしときますから」
「却下」
 毎度のことと軽くあしらいながら、半助は見えてきた我が家に違和感を感じていた。
 人が入った形跡がある――というより戸締りしたはずの戸口が、あからさまに開いているのだ。
 危機感はなかったが、なんだかややこしい予感がした。
「あれ?開いてるじゃん」
 先に入ろうとするきり丸を一応制し、戸口から中をのぞいた瞬間、予感が的中したことを悟る。
 数ヶ月間放置され、本来ならばほこりが積もり放題の我が家が、たった今掃除が終わったばかりの様に綺麗になっていたからだ。
 しかも半助にだけ気付いてくれ、といわんばかりの馴染み深い微妙な気配も感じる。
「はぁぁぁぁ〜」
「うっわー、きれーになってんなぁ」
 深いため息をつく半助の横で、きり丸は大喜びだった。
 原因はともかく、結果が良ければそれで良いらしい。
「人ン家勝手に掃除するなんて、ロクな奴おらん」
 聞こえよがしのイヤミも、当人に通用したかどうか。
「いいじゃないっすか!これで心置きなくバイトに行けますからねー」
 大はりきりのきり丸に、また絶妙の間合いで外から声がかかる。
「きりちゃん、帰ってるんだろ?また手伝っとくれ」
「はいはい、ただいま〜!じゃ先生、行ってきまっす!」
 きり丸は嬉々として飛び出してゆく。
 声の主はきり丸のお得意さまで、道具屋のおかみさんだ。気前良くお駄賃をたくさんくれるからと、大変気に入っているバイト先だった。
 何故きり丸が帰ってくるのが、これ程ぴたりとわかったのかなどということは、きり丸にとって問題ではないのだが、半助にとっては、また深いため息をつきたくなる事態だった。
「――ったくそれだけの労力、よくも無駄に使えるもんだ」
 呟きながら半助は荷をほどき、整理などをはじめた。やる気満万の気配は、放っておくのが一番だ。
「あのー」
 たまりかねた様に、水がめの中から情けない声が訴える。
「いい加減、登場のきっかけを与えてもらえませんか?」
「勝手に入っておいてわがまま言わないで欲しいな。水が入ってりゃ助かりもするけど、そこに君が入ってても何の役にも立ちゃしないんだから」
 ま、掃除してもらったのは助かってるけど、などと思っても口に出したりはしない。調子にのってもらっても困るだけだ。
 半助に冷たく言い放たれて、利吉はかめからぴょこんと顔を出す。しかし振り向いてもくれない想い人に肩を落として、水汲み行動を開始した。
 中庭の井戸へ向かった利吉は、隣のおばちゃんと遭遇したらしい。二人の会話が半助の耳にも届いた。
「おや、利吉くん。さっきはお土産ありがとぉねぇ」
「いえ、こちらこそ。いつも土井先生がお世話になっている御近所のみなさんは、先生によくお世話になってる僕にとっても恩人ですから。つまらないもので申し訳ないのですが」
「あらまぁ、若いのに良く出来た子だねぇ」
 機嫌良くからからと笑うおばちゃんの声。二人の話しぶりから、このお土産作戦が今回に限ったものではないらしいことが伺える。
 さわやかに微笑む利吉の「営業用」の笑顔が目に浮かぶ様だ。
「ところで半助ちゃん、帰って来たんだろ?なんであんたが水汲みなんてしてるんだい?」
「いやぁ、お恥ずかしい話しなんですが、先生が帰ってこられるのが見えたので、水がめの中に隠れてて驚かせようと思ったんですよ。そしたら『そこに君が入ってても何の役にも立たない』って怒られちゃいました」
「んまぁー、半助ちゃんも大人気ない」
「いえ、僕がふざけすぎたんですよ」
 ……確かに、彼は嘘は言っていない。だがしかし!なんと周到に自分の好感度を上げていることだろうか。おそらく折りにつけここに立ち寄り、その好青年ぶりで御近所中のおばちゃんを味方につけているにちがいない。
 さすがは売れっ子忍者、と言いたいところだが――。
「半助ちゃん!こんな良い子邪険にしたら、ただじゃおかないよっ!!」
 飛びこんで来るおばちゃんの捨て台詞と共に、利吉が満面の笑みで入ってくる。
 対する半助は憤りでいっぱいになっている。
「どうして君は…」
「どうしました?」
「それだけの労力をこれ程くだらない事の為に注ぎ込めるんだっ?!」
「――くだらない事なんてないですよ」
 一瞬、きょとんとした表情を浮かべて、再び利吉はうれしそうに微笑んだ。
「僕にとってはあなたと二人きりで過ごす時間が何よりも大切だから」
「……」
 まっすぐな瞳で、こうもきっぱりと言いきられると憤っていた自分がばかばかしくなってくる。
「少しでも長い間、あなたにこうして触れていたいから…」
 そっと近づいた利吉の体温を心地良く感じながら、半助はとりあえず口付けだけ許した。
おしまいだね


2001年3月11日付けのペーパーに載せた小説です。
土井先生の為ならどんな苦労も厭わない利吉さんが好きです。